いとしいとしと いうこころ
 



旧字体の“恋”という字はそりゃあ難しくて、
小さく書くと潰れるほどに字画も多い。
とはいえ、恋という言葉そのものは
何とも愛しく切なく、且つ煽情的でもあって。
それを小粋に唄った歌謡曲や都都逸もあり、

  いとしいとしという こころ

糸偏に挟まれた言偏を冠にかむった心、
「戀」という字をそうと紐解き、
愛しい愛しいと言の葉に載せる心のことだよとしたから、

 「日本人ってのは、なかなか粋だよねぇ。」

そりゃあ強靱闊達で、それでいて艶めく色香も併せ持つ、
彼女自身が刃紋も妖麗な脇差のような存在感をたたえ、
外科医師界にこの女傑ありと謳われていよう、
武装探偵社が誇る女医、与謝野晶子がしみじみと口にしたのは、
それに関するコラムが今朝の新聞にあったから。
今日は叶わぬ恋に身を焦がした女流作家の命日だとかで、
その波乱の人生と合わせて引用されていたのだが、

 「そうですか?」

それへ“ちょっとお待ちを”と言いたげに水を差した声ありて。

 「素敵じゃあるけど なんかまだるっこいですよね。」

そうかい?と晶子が小首を傾げれば、

「こう、恋に恋してるだけというか、
 じかには触れてない人の云いような感じで。」

細い顎に緩く握った拳の指先を添えて、
鹿爪らしくうんうんなんて頷きながら言葉を返したのは、
替えの包帯を切らしたと女医殿へ予備のを譲ってもらいに来た色男。

「直接アプローチした上での煩悶とは思えぬのですよ。」

恋情なんてはしたなくも破廉恥なもので、
懸想なんてのは秘すこととされてた昔の話でも
それはないないと続きかかった言いようへ、

「いかにも行動派ぶって 拳ィ握って力説しているが、
 あんたがやってるような心中へのお誘いじゃあ褒められやしないよ。」

眉目秀麗な風貌やすらりとした肢体に、
行儀をようよう染ませた卒のない高貴な所作振る舞いを備え。
春の空に映えて華やかなさくらや夏の草むらに白が冴える百合にも負けぬ、
麗しいだけでなく、どこか愁いの淑やかさをたたえて印象的な、
ミステリアスな雰囲気まとった美丈夫であるにもかかわらず。
口を開けば心中心中と埒もないことばかり振りまく残念なイケメン。

 「何も喋らなければ、老若男女問わず誰でも落とせる希代の傾城だろうに、
  さすが神様は公平なんだねぇ」

なんて。
おきゃんで博識な女史からそこまで言われても、

 「やだなぁ、そんな辛辣な。」

言われる側も慣れたもの。
はははと軽く笑い飛ばすと、
では包帯ありがたくいただいときますと会釈をし、
万年筆のインクを滲ませてしまった手首への処置のため、
更衣室へ向かった彼なようで。
掴みどころのない飄々とした人物で、
軽快な物言いはそれこそいつものことなれど、

 「真剣本気の何かしら、抱えて無けりゃあいいんだがねぇ。」

これで結構付き合いは長いし、こっちは外科医とはいえ医者なのだ。
メンタルなものを察せないようではこんな特殊な職場を支えは出来ぬ。
何かと錯綜したもの、その身の内に抱えているような奴だと、
お軽いやり取り交わしつつも ちゃんと把握しておいで。
あのふざけたような物言いや、人を振り回す言動も、
自分へ踏み込ませぬよう、さらりと身を躱す処世術のようなもの。
だって、いい加減な奴ならば、時にその身を犠牲にするよな無謀をどうして構える。
首領が許してもその下は裏切り者としか見てはなかろうポートマフィアへ、
諜報のため、あるいは交渉のための接触を恐れもなく執りもする。

 “恋心の話へあんな反応したのだって…。”

誰かを悲恋へ巻き込みたくはないか、それとも……


   ◇◇

自分へはもはや第二の皮膚でもある包帯を整え、
さてさてと執務用のデスクへ戻れば、
お隣の席の若手のホープこと虎の少年が、
何やらやに下がってその手の中に開いた携帯電話を眺めており。
液晶に展開されていたのは、

 「おや。蛞蝓の転寝かい? 珍しい一枚だねぇ。」
 「あっ、わっ、ななな、なんですよぉ、いきなりっ。//////////」

どれだけ警戒していなかったか、
唐突にこちらの手元という深みまで、身を乗り出して覗き込んで来た人の
ふわりと押し寄せてきた柔らかな香りやら響きのいいお声やらへ、
うわっと驚いて思わずのこと、ツールを放り出してしまった敦くん。
中空から落ちて来たのを難なくキャッチ…した、太宰の頼もしい手に取りすがる。

 「か、返してください。」

いくら手隙だったとはいえ、
就業中に仕事に関係ないものへぼんやり見惚れていたのはいただけないこと。
すみませんてば謝りますてばと、謝りながら縋りついてくる、
戦闘中以外はか細い腕をひょいひょいといなし、

 「これって執務室だよね。どうやって撮ったのかなぁ。」

社でも1.2を争う長身の頭上へと避けたツールをじいと眺めつつ、
不思議そうなお声で問うた教育係さんへ、

 「…撮ったのを譲ってもらいました。」
 「………そっか。」

自身の執務室の、恐らくはデスク前の椅子に坐し、
腕組みしてやや顎を引き、窮屈そうに眠ってる本人には、
アングル的にも状況的にも自撮りなんか出来なかろう。
正直に白状した虎の少年へ、まあ察してはいたけどねと応じ、
はいとツールを返してやったものの、

 「誰にもらったんだい?」

ついでにと重ねて訊いたら。
何でそんなこと訊くんですか?と言わんばかりに、
え?と怪訝そうな顔を向けられてしまい。

 「芥川ですよ。」

他に誰がいるんですよと、そう思っての訝しげな顔だったらしいが、

 「そっか。」

ちょっぴり齟齬が生じたような、そんな間合いが挟まったやりとりで。
窓からそよぎこむ風には、何処に咲くのか甘い甘い金木犀の香りが乗っており。
うんうんと後付けみたいに口許をほころばせた太宰だったの、
不思議そうに見やった少年の銀の髪、さらりと梳いて吹きすぎる。





 to be continued. (17.10.01.〜)





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 *太芥話が続きましたね。
  実は別の“太芥もの”を構えていたのですが、
  ちょぉッとややこしいネタなので、
  見切り発車に二の足踏んでおりまして。
  それへのインターバル、ということでvv